鏡王女物語 (五) 注書き

注501) 彌勒寺(みろくじ) 現在、扶余市に彌勒寺古址として残っています。西暦600年頃百済武王によって創建されたとされます。 

注502)大倭国(たいゐこく) 「大倭」という語の最古使用例は、3世紀の『魏志』「倭人伝」です。後の『後漢書』には「其の大倭王邪馬臺国に居す」と出ています。倭人国は、自分の国を「大倭国(だいゐこく)」と自称したようです。7世紀の『隋書』には「俀国(タイコク)」と出ています。「大倭(だいゐ)」などおこがましい、「俀国」で充分だと「弱い」という意味のある俀国と記したものと思われます。

注503)宋朝廷の御璽(曾朝廷のぎょじ) 宋書に倭の五王と云われる王たちが受けた数々の官職名が書かれています。都督、倭、新羅、任那、加羅、秦韓、慕韓六國諸軍事、安東大將軍、倭王に任じられた、とあります。

注504)百聞は一見に如かず(ひゃくぶんはいっけんにしかず) 他人から何度も聞くより、直接そのものを一度見た方が良い、ということわざです。

注505)荒津の長柄宮(ながらのみや) 難波の長柄宮とも云われます。福岡市西区の愛宕神社あたりに存在した、とされます。

注506)人質(むかはり) 古くは人質のことを「むかはり」といいました。語源は「身代はり」からだそうです。

注507)智興(ちこう)  韓智興といい遣唐使のいちいんだったようです。日本書紀が伝える伊吉連博徳書や中国の史書に名が見えますが、詳しいことは分っていなません。筑紫の王朝が派遣したとする説が有力です。   
注508)残の浦(のこのうら)  博多湾に浮かぶ残の島(のこのしま)のまわりの海のことです。

注509)残の浦 夕波小波 の和歌 この擬似万葉調の歌の元歌は、歌謡曲 山上路夫作詞  平尾昌晃作曲 小柳ルミ子歌 で大ヒットした『瀬戸の花嫁』より想を得たものです。

注510)越の津(こしのつ)越の国とは、越前(福井県)、越中(富山県)、越後(新潟県)、加賀(石川県)、能登(石川県)という広い地域をいいました。古代の渤海使などが到来したのは、越前国といわれます。

注511)水手(かこ)船の乗組員、水夫のことです。

注512) 怪訝(けげん) 不思議で納得のいかないことです。 

注513) 烏文(からすぶみ) 『日本書紀』敏達元年五月 の記事に「高麗からきた文が烏の羽に書いてあった。羽が黒いので字が読める人がいない。船史王辰爾(ふねのおびとおうじんに)が羽を米飯の蒸気にあて、絹布に押し付けるとその字を写し取ることができた。」、とあります。

注514) 露見(ろけん) 露顕とも書きます。隠していたことが表に現れることです。

注515) 二の舞(にのまい) 前の人の失敗を繰り返すことです。 

注516) 重畳(ちょうじょう) 大変喜ばしいことの意味です。重なって連なる、という意味がありますが最近ではあまり使われません。 熊本の方言では「有難うございます」を丁寧にいうのに「重畳段々」(ちょうじょうだんだん)と言います。 

注517) 豊章王子(ほうしょうおうじ) 正しくは豊璋王子です。百済最後の王、義慈王の子で、日本に人質として来ていました。百済が唐・新羅連合軍によって滅亡した後、日本軍の応援を得て百済復興の戦いを挑むが、白村江の敗戦で唐の捕虜となり流刑されたといわれます。

注518) かがり火の・・・和歌  元歌は、万葉集巻十一第2642番 詠み人知らず “燈(ともしび)の 影にかがよふ 現身(うつしみ)の 妹が笑まひし 面影に見ゆ”です。これを女性が詠んだ歌に変えてみたものです。

注521) 目の敵(めのかたき) 憎んで敵視することです。

注522) 正念場(しょうねんば) 正しい心が必要な場面 という意味です。

注523) 人間到る処・・(じんかんいたるところ) 人の住む世界には、自分の骨を埋めるような所は、必ずあるはずだから、故郷を出て、大いに活躍するべきだ、ということです。 「人間」を「人生」という場合もありますがこれは誤用です出典は、江戸時代の僧釋月性の詩、男児志を立て郷関を出ず 学若し成る無くんば復た還らず 骨を埋むる何ぞ墳墓の地を期せん 人間到る処青山あり”の最終句です。

注524) 途方(とほう)に暮れる  方法がなくどう仕様もないという意味です。 

注525) ちちの実の父の命は の和歌 元歌は、万葉集巻十九第4146番 大伴家持 の防人の歌(長歌)です。その一部分を、ほぼそのまま借用しました。

注526)斎宮(いつきのみや) 古代、天皇の縁戚の女性を「斎王」として神社(斎宮)の祭主としました。 

注527)遠賀の岡湊(遠賀のおかみなと) 古くから史書に登場する福岡県の遠賀川河口港です。遠賀の地名は「おか」が語源とされます。

注528)穴門(あなど) 長門(やまぐちけん)の入口、関門海峡のことです。

注529)弧公(ここう) 生没年不詳)は新羅 の建国のころ、新羅王に仕えた重臣で元は瓢箪を腰に巻いて海を渡ってきた、とされる。(『三国史記』の記述)。

注530)常人(じょうにん) 普通の人、という意味です。

注531)新羅本記(しらぎほんき) 12世紀に編纂された三国史記の中に新羅本紀があります。

注532)豊浦(とゆら) 今の下関市長府あたりに在ったとされる豊浦宮だが現在では所在不明です。 

注533)豊津(とよつ) 現在の福岡県の瀬戸内海に面した豊津町です。 

注534)玄海の波越え の和歌  元歌は、与謝野鉄幹 人を恋うる歌9番 四度玄海の波を越え 韓の都に来てみれば・・・より想を借りたものです。 この歌の1番「妻を娶らば才たけて・・」は若者に今でも歌われているのでしょうか。 

注535)伊予の湯岡(いよのゆおか) 『伊予風土紀』逸文に【法王大王が法興六年にこの地を訪れ、詩を詠んだ。それを記念して「射社邇波」の湯岡に碑を建てた。】と『釈日本紀』巻14に引用されています。 ふつう湯岡は道後温泉とされ、法王大王は聖徳太子としますが、「射社邇波」の岡は、西条市石岡ではないか、法興という年号、そして和歌でなく「詩」であることなどから、法王大王は『隋書』に出てくる俀(たい)国の多利思北孤王ではないかと思われます。

注536)県主(あがたぬし) 古代の大王の下での職種の一つで、ある程度の地域を管轄していました。西日本にその記録が多いことから、古代の「倭国」王権の職種であったと思われます。

注537)古きより の歌 元歌は、万葉集巻十四第三三六八番 作者不詳 足柄の土肥の河内に出づる湯の世にもたゆらに子ろが云わなくに を借用し場所を変えたもの。

(注538)色紙(しきし) 詩歌や絵を書くために方形または長方形に裁断した厚手の紙のことです。今日では、有名人のサインを貰うために用いられています。

注539)君が目の の和歌  元歌は、日本書紀斉明紀に、母を偲んで中大兄皇子が詠んだ、と掲載されています。母親の死を悼むよりも若い恋人の死を嘆く歌の感じであり、この歌の作者が中大兄皇子とするのは誤伝と思われます。

(注540)首尾(しゅび) 元は始めと終わりのの意味でしたが、 物事の成り行きとその結果をいうようになっています。

注541)多赤麻呂(おおのあかまろ) 多氏は九州に淵源を持つ最古の古代氏族といわれる。一族の中では、太安万侶が有名です。赤麻呂は、壬申の乱の荒田尾赤麻呂・万葉集に出ている佐伯赤間路などいるけれど、この多赤麻呂・蘇麻呂は作者の創作名です。

注542)日本紀(にほんぎ) 『日本書紀』雄略紀に『日本旧紀』からの引用、という記事があります。『日本書紀』編集者が参考にしたと思われる、この『日本旧紀』という書物は、「日本紀」などという名前に近い書名であったと思われます。

(注543)筑紫風に名前を変えた(地名の移転) 筑後地方と奈良地方の地名の同一性は多くの研究者の説があります。 

(注544)朝倉の飛鳥(あさくらのあすか)  福岡県小郡市に「飛島」という小字名が残り明治以前は「飛鳥(ヒチャウ)」と呼ばれていました。その飛鳥は飛び立つ鳥の形をした池であり、近くには明日香皇子を祭神とした神社もあります。

(注545) 徒然(つれずれ) することがなく退屈していることです。 

(注546) 御曹司(おんぞうし)  曹司とは元々古代官庁に付属した部屋の意味であり、そこに住む貴族の子供を御曹司と読んだことに始まるそうです。現代では、有力者の息子、特に二代目となる息子をいいます。 

(注547) 趣向(しゅこう) 趣きが出るように工夫することです。 

(注548) 一首仕り(いっしゅつかまつり) 和歌をひとつ披露します、の意味です。 

(注549) 君待つと の和歌 この歌は、万葉集巻 額田王の歌そのまま使いました。  ”あなたが私の部屋に来るというので、今か今かと、静かに待ってるのにあなたはなかなか来ない。あなたが来ずにただ秋風だけがスダレを揺らして来てくれている”の意味の歌です。

(注550) 王(ひめみこ)の位  万葉歌人の額田王の「王」がなぜ付いているのか、また、その読みが「ひめみこ」なのは何故なのか、ということは謎とされています。この本書の、「筑紫に会った王朝から頂いた冠位」説もあり得ないことではないと思います。

(注551) 風をだに の和歌  この歌も、万葉集巻一の 鏡王女の歌そのままを使いました。意味は ”風を恋しいと思うとは羨ましいものです。風を恋しいと待つ心を持てるならば 何で嘆く事がありましょう 私にはそういう心さえ持てないのですから”です。 

(注552) 出仕(しゅっし) 官庁に勤めることです。 

(注553) 大仰(おおぎょう) おおげさ、のことです。 

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