槍玉その54 「漢委奴国王」金印・誕生時空論  鈴木勉 雄山閣 2010年刊    批評文責 棟上寅七


はじめに

本書は金石文学研究者鈴木勉氏が、志賀島から出土した「漢委奴国王」印が、いつ・どこで造られたのかについて、その調査研究の中間報告書的のなものに、金石文学入門 I 金属印章篇 という副題がついた本です。

もともとは大塚初重氏の『邪馬台国をとらえなおす』を、ブログ「棟上寅七の古代史本批評」で取り上げていた時に、大塚先生が志賀島の金印について、その真贋論に関して、この鈴木先生の本に触れられていたことが端緒です。

その『「漢委奴国王」金印・誕生時空論』を図書館で読み、読後感想をブログに書いたのです。しかし、棟上寅七の悪い癖で、早呑みこみして若干見当違いの感想を書いてしまいました。

ブログに書いたあとで、この舌足らずな、見当違いな感想を訂正しようと、再度、図書館に行って、今度は借り出して、じっくりと読んで見たのです。

それでも印章についての知識不足は自覚されましたので、新関欽哉さんの書かれた『ハンコロジー事始め』という本に出会い、随分と助けになりました。

『「漢委奴国王」金印・誕生時空論』の改めての感想を、ブログにアップしようかと思ったのですが結構量が多いので、ホームページの「槍玉シリーズ」の一つとして上っていただくことになった次第です。

また、この本には専門用語が多いので理解しにくいかもしれません。用語解説がこの時空論の本の中に10ページにわたり50項目詳しく述べられています。今回はなるたけ専門用語の使用は避けて記述したつもりですが、理解しづらいところが多いと思います、なにとぞ容赦の程を。

金印誕生時空論

著者について

本の奥書には、1949年生まれ。早稲田大学理工学部卒。NPO工芸文化研究所理事長で、過去には橿原考古学研究所研究員もなさっていらして、著書も『藤の木古墳の馬具を語る』など多数おありの先生です。

この本をめくってみますと、時空論とかマトリックスとかちょっととっつきにくい感じです。ブログで、ちょっと見の感想を述べてしまい、その不十分さに慌てて読み直した結果、久しぶりに頭の体操になったことにまず鈴木先生にお礼申し上げなければなりません。



本の概略

この本の表題に「金石文学入門 I  金属印章編 と副題がついていますように、非常に詳しく古代の金石文字についての説明が述べられています。

問題の「漢委奴国王」金印について、鈴木さんはその作成された金印その物自体の作製精度の高さに驚かれ、これほどの精度で製作するには、精密な計測技術や計測器具、検査システム、なども整っていなければならない、果たして1世紀段階の技術で可能であったか、と疑問を呈されます。

次に、ほぼ同時期に製作された「廣陵王璽」金印と「漢委奴国王」金印との製作技法の相違について、同じ技法ではない。「廣陵王璽」は線彫りで「漢委奴国王」金印は浚〈さら〉い彫りであり、同じ王宮官房で作成されたとは思われない、と疑念があることを説かれます。

この本を通読して、寅七の印章についての知識の不確かさを知らされました。金工技術には疎いのですが、常識的かつ理性的な判断で、鈴木さんの説かれるところへの疑問、本の中に掲示されているマトリックス表の区分についての疑問など、と、それに対する解答としての私見を、恥を忍んで述べててみたいと思います。

尚、鈴木さんは、この本の中で、「私の疑念について今まで意見を貰っていない」と残念がっておられます。それにお答えするのが、素人の古代史好きの棟上寅七で申し訳ありません。



誕生時空論とは

まずお断りしておきたいことがあります。著者は、「志賀島出土とされる金印」を叙述の簡便性から、括弧つきの「金印」として叙述していますので、棟上寅七もそれに倣って述べさせていただきます。

著者は「金印」の作成された時期、作成された地域を、出土した印章を調査することによって定めたい、それを「金印誕生時空論」と名付けています。

時間空間的に捉えるための「文化的技術要素」として、次の5個を上げます。

①文字のデザインを決める文字の文化
②布置などを考える印章彫刻の文化
③印のボディをつくる鋳造技術
④印面を彫る彫金技術
⑤磨きなどの仕上げ技術

例えば3個の要素の場合をグラフで示めすと次のような図になるというわけです。
文化と技術の時空論
(上図は第五章 金属製印章の技術史学のために p165 の図を参考に作成しました)



マトリックス表について

著者は、金属製印章を次の8項目について調査し、マトリックス表にまとめています。

金属製印章の区分は、A)国内の中国古代金印、C)中国の博物館の古代金属製印章、J)国内の中国古代金属製印章、E)江戸時代の金属製印章、と分けられています。

この区分、特にA)には大きなミスがあると思われます。(後述)

調査項目は次の8項目です。

①文字線の肥痩
②文字線の線幅率
③文字線の端部
④溝の断面形
⑤印面の仕上げ
⑥印面の四辺
⑦文字線の加工法
⑧その他

以上をマトリックス表で示す(部分)と次のようになる、と下のマトリックス図を示されます。



(上図は p150の図から作成。問題点を赤字で示す。)



このマトリックス表への疑問

「金印」についての誕生時空論からみる、としてマトリックス表からの解析について具体的に述べられます。
しかし、著者のマトリックス表からの解析には、何らかの原因での著者の錯誤があるのではないかと思われる叙述があります。

著者は、”同時代の中国国内出土の金印と比較すると、箱彫りでなく鉢彫りであり、その稀少性が突出している”と指摘されます。

これは、「廣陵王璽」印がC)項に入っていなかったことによる判断と思われます。もし、「廣陵王璽」がC)項に入っていれば「鉢彫り」が「稀少性が突出」という評価にはならなかったと思われます。

これも、著者が、「廣陵王璽」をその発見時の問題点から、C)項から外したために生まれた解析結果による評価でしょうが、なんとなく引っ掛かります。(下記表2、及び表3をご覧ください)


(上図は p141の図から作成。赤字で問題点を示す。)

      (p143 の表3 より作成)


ここで著者のマトリックス表の区分についての疑問を述べておきます。

この図92として掲げられた図表で、(A)に区分されている項目のタイトルは理解に苦しみます。そこには「国内の中国古代金印」とか「日本国内の金印の技術」などとあります。

これらの図表には、「金印」・廣陵王璽・平阿侯印・関内侯印(藤井有鄰館)の四印が(A)の区分とされて、調査結果が表示されています。

しかし、廣陵王璽は南京市博物館所蔵である(そのように本書でも書かれています)のになぜか日本国内の金印として区分けされているのです。これは著者のミスとしか思われません。

全体を精読しますと、どうやら著者はこの四印の誕生時空を確かめたい、という目的で(A)項という区分を作ったのではないか、と推察されるのですが、定かではありません。区分けの説明がなんらかの原因で間違って記されてしまったのでしょう。

もしこの棟上寅七の間違いではないか、という指摘が正しければ、これが「学術論文」であったら致命的な欠陥となることでしょう。素人の棟上寅七でも間違いを指摘できるのに、この本を読んで、この調査結果のマトリックス表をみた専門家は、どう思っているのでしょうか?著者自身は出版後既にお気付きになっていると思うのですが?



鈴木氏の「金印」についての解析結果と評価


ともかく著者は、このマトリックス表にまとめられたこれらの詳細な調査の結果から、「金印」について述べられているものを、著書の中から拾い集めました。

次のような意見が見つかりました。


a)断面形について

印面の溝彫りで、「金印」が鉢彫りなのは、その時代の金属製印章でその稀少性が際立っている、とされます。

しかし、おかしいな、廣陵王璽も鉢彫りとなっているのに何故「稀少性」などといわれるのかなあ、とまず思いました。

マトリックス表でみますと、確かに滇王之印・文帝行璽・泰子などの箱彫りに比べると珍しい鉢彫りかも知れません。しかし、A②廣陵王璽も鉢彫りです。この廣陵王璽をA②として、「国内の中国古代金印」に区分したことが、「稀少性」という評価を生んだのではないでしょうか。

つまり、廣陵王璽は、本当なら(C)項にはいるところが(A)項に紛れ込んだための著者の判断ミスで、そのような「稀少性」という表現になってしまったのか、と思われました。

しかし、全体をよく読んでみると、特に説明はありませんが、どうやら著者は廣陵王璽自体の出自に問題があり、(C)項から外されているのではないか、とも思われるのです。

いずれにせよ、マトリックス表の区分の曖昧さがこの本を読む人に、本書の記述の信頼性を疑う結果になるのではないか、と危惧します。

素人考えですが、マトリックス表にあるように、「金印」が鉢彫り(逆台形)なのは「封泥用」にも使ったのでしょうし、江戸時代の印章が薬研彫り(V形)なのは「押捺用」だったから、と簡単に説明できると思われるのですがどうでしょうか。著者はあくまでも「金工技術」の面からのみ「誕生時空」を追い求められているようです。


b)腰取りタガネの使用痕跡について

工具の腰取りタガネの使用痕跡について、E群(江戸時代の印章)は「金印」と同水準の切れ味をしめす(p157)とし、(C)群(古代中国の印章群)の印章との違いがあるとされます。

この著者のマトリックス表は、印面が陰刻・陽刻の区別がありません。江戸時代の金属製印章の印面の写真が添付されていますが、見たところ全て陽刻です。

陰刻の「金印」と陽刻の江戸期の金属製印章の作製については、工具の使い方も異なるのではないのかなあ、と素人には思えるのですが。そのような「素人目」への疑問に答えるような説明は見当たりません。


c)肥痩度 とくに文字端部へ太くなる意図的な肥痩度

著者は、「金印」と江戸期の金属製印章との共通点として、「意図的な肥痩度」を上げます。(マトリックス92図に◎で示している)

また、「金印」に見られる「意図的な肥痩」についても、江戸時代の共通性もありますが、中国の古代印章にも肥痩表現があるものもあります(三国時代の金印「宣成公章」についての著者の説明)。

それに著者は、次に紹介する文章に見られるように、中国の文字に対する基本的姿勢、「意図的な肥痩」が基本的にあることを述べているのです。

なぜ「金印」のみが江戸期の「意図的な肥痩」と共通とされるのか、中国古代印との共通点として取り上げられないのか、著者の同書の中の叙述からはむしろ共通ではないのかなあ、と思われたのですが。

以下に紹介する文章は、日本国内にある金属製印章について、その資料としての信頼性を問う文章の中で述べられているものであり、「金印」との関係を直接述べているのではありません。しかしながら、何故「金印」の検討に際しての「意図的な肥痩」ということでは、C群との共通性を認めないのでしょうか、素人には理解できません。

ちょっと長いのですが、著者の文字の肥痩についての文章を紹介します。


第四章金属製印章の技術史学 (9)浚い彫りと線(溝)彫り

【中国の博物館に所蔵されるC群の印章の多くに浚い彫りによる文字の肥痩の調整が行われていることがわかり、国内の流通古文化財であるJ群の印章には浚い彫りのないという結果が出た。これは何を意味するのであろうか。

中国の文字は古代より肥痩を以て表現されてきたことは第二章において述べ、さらに「印章という中国の皇帝による支配体制を象徴するものに彫られる文字が、肥痩を表現するのに適さない線彫りでよいのか?」という疑問を第三章で提示した。

出土したとされるC群の印章の多くに浚い彫りが採用されていることは、筆者が提示した問題に答える結果となった。

つまり、古代の金属製印章の文字は肥痩を以て表現するという中国の文字における基本的な要件を保持しているということである。

それに対して、J群の流通古文化財である印章に一つも浚い彫りが検出できなかったことは資料の信頼性を考えるうえで大きな問題であろう。】(p155)

この文章で示される中国古印における「意図的な肥痩度」ということが、マトリックス表からはうかがえないのです。つまり、鈴木先生のこの文章とマトリックス表とは相関していない、という矛盾があるとみえるのです。


d)封泥用印章と「金印」

この著者作成のマトリックスには、印字面の平滑度の調査はされていますが、この印章が陽刻なのか陰刻なのか区別されていません。

陰刻・陽刻は印章の用途が変わったことと大いに関係があると思われるのですが、このマトリックス表からはうかがえません。しかし、著者は全くそれを無視しているわけではなく、次のようにも述べています。

【(C1~C5の5個の印章のうち)文字線の加工によってカエリや盛り上がりを除去していないものが三顆を数える。また後漢のものとされるC⑥関内侯印金印も同様に、印面の仕上げ加工がなされていない。

この当時、印章が封泥用のものであることは周知のことであるが、封泥に押捺するばあいには、必ずしも印面を平滑・平坦に仕上げる必要はないので、これら四顆の印面が仕上げ加工がなされていないことは妥当なことと言える。


西晋の劉弘の墓から出土したC⑫とC⑬の金印は何れも印面が平滑・平坦に仕上げられていて、劉弘の生きた3世紀末から4世紀にかかるころは、紙に押捺されていたことが推察される。

そうしたことからみると、蔡倫が生まれて間もないころの作とされる「金印」などいくつかの金属製印章の印面が平滑・平坦に仕上げられていることも検討対象となりうる。】(p154)


この文章を読みますと、著者は、「金印」が封泥用にも押捺用にも使える印章であることを暗に認めているようなのですが、そのことは、「金印」と江戸期の印章との近似性?と相反するので、表立ってその面からの考察を避けているようにも感じられるのですが、思い過ごしでしょうか。



「金印」の真贋について


結論的には、江戸時代にこの「金印」のような印章を作れたことは間違いないと、次のようにいわれます。

【江戸時代の金工技術者の技術水準は極めて高く、デザインと試作の結果を評価できる発注者または管理者が居さえすれば、あらゆる加工が可能であると考えて差し支えない。

つまり、「金印」の印面をデザインすることができれば、それを作りだす技術的必要条件は満たされているのである。

そのために必要なことは、当時、「金印」のデザインの参考になるような漢代の金属製印章が日本にもたらされていたかどうかの一点に尽きるのだが、先に挙げた、江戸時代の製作とされる金属製印章を見れば、もはや、「金印」の製作が江戸時代には不可能だと考えることはできそうにない。】(p159-160)


しかも、江戸期に「金印」は作れても、それを証明するにはその当時「金印」のモデル的な印章が日本にもたらされたいたという証明が必要だと仰っています。

つまり、現在までの資料の調査からによる鈴木さんの誕生時空論では、真贋を決めることは不可能とおっしゃっているのと同じことだ、ということでしょう。

では、「金印」が真物という証拠はあるのか、ということですが、著者は、廣陵王璽と「金印」が同じ時期に同じ工房で造られたのではない、兄弟印ではない、時期としては少なくとも一世代は違う、という鑑識結果を述べられています。

著者は1981年に発見された廣陵王璽という金印が「金印」と同時代に造られているとして、「金印」真物説が強まったとされることについて、廣陵王璽を検査した結果の著者の見解を述べられています。

主なところをピックアップしてみました。

・廣陵王璽を出土品として取り扱ってよいのか。(著者は発見の経緯からみて疑問がある、とされる)

・廣陵王璽の方は線彫りで「金印」の浚い彫りと違う生産システムによって作られている。 

・彫りでも筆使いに従って一気に仕上げる「上彫り師」とデザインに忠実に彫ろうとする「型彫り師」とが存在した。廣陵王璽は前者により、「金印」は後者によって彫られたと推定される。廣陵王璽と「金印」が同じ工房で同じ工人によって作られたことはあり得ない。

しかし、漢代でも官営工房は各地に存在した可能性はある。(廣陵王璽は押捺用、「金印」は封泥用と、用途が異なる印章を作成するのですから、当然彫り方も異なってくる、と思うのですが?)

・兄弟印であるとすれば、それは「金印」が光武帝から下賜されたものでまちがいなかろう。しかし、兄弟印ではないので、「金印」が光武帝の下賜印である根拠がなくなった。 

・同一工房でもし両印が造られたとした場合、つまり「金印」と後漢書倭伝の光武帝の下賜記事と結び付けない場合、そこには少なくとも一世代以上の時間的な開きがあると考えられる。

・廣陵王璽と「金印」とを比較検討することによって、もし両印が製作技術も同じであると証明されれば、確かに「金印」は後漢の官営工房尚方で製作されたことを裏付けるものとなるはずであった。しかし、はからずも筆者は、製作技術の違いから両印が根本的に異なる生産システム下で製作されたことを指摘することになり、同一工人による製作や、同一工房における製作の可能性を否定することになった。

つまり廣陵王璽は「金印」の漢代製作説を証明する資料ではなかったのである。



棟上寅七の雑感

この本で著者は、「金印」を造る技術は江戸期には充分にあった、ということを証明できた、とされるようです。

しかし、それは不思議でもなんでもないことではないかなあ、それが、「贋造」と係わっているか、と言うことについては何も言えていないのです。

手工業の世界で、1世紀に造られたとされる印章を、18世紀にも造る技術が日本の江戸期の金工の世界にはあった、ということは当たり前のことではないか、と一般人の寅七としては思われるのですが。


あとがきで著者は次のように本書記述の契機について述べられています。

三浦佑之氏の『金印偽造事件』(幻冬社新書 2006年)に、著者の論文を読み、それが三浦氏の『金印偽造事件』という本になったことが今回の本の執筆の契機になった、と次のように書かれています。

一世代以上ということは当然それ以上1700年余の時間的開きも含まれるのである。しかし筆者はそれを書くことをしなかった。

なぜか?それは通説や定説に立ち向かうだけの資料が整っていないと考えた為である。

(中略)その一方で、誰かがその可能性に気づいてくれないかという淡い期待を抱いていた。】


つまり、「金工技術史入門」という副題のタイトルなのですが、実は「金印」偽造説を補強するための調査であった、しかしやってみたが駄目だった、という本音を吐露されているように受け取られる「あとがき」です。


「金印」の真贋を論じるのであれば、製造面からのアプローチだけではなく、文献や社会史的な面からの検討も必要でしょう。

なぜ、「金印」には委奴国とあるのに、後漢書には倭奴国となっているのか。なぜ陰刻の印章を選んだのか。

なぜ、封泥用と思われるのに表面が平滑に仕上がっていて「押捺用」にも使えるような印章として出来上がっているのか。

江戸時代に製作は可能であったとされますが、江戸時代の印章贋造は死罪であった、というような社会的条件も真贋論争に関係してくると思います。

また、著者は、日本国内の金属製中国古印が、中国国内の同時期の古印と共通点がマトリックス表に見れないことについて、単に、何故なのか、と言われます。これは、「金印」の真贋論争よりも重大な問題をはらんでいます。

それは、国内の中国古印はすべて偽造印章と疑わなければならないのか、マトリックス表に現わされた鈴木先生の調査項目による解析が不十分であったか、ということを示している、と思われますので。



さいごに

筆者は、「金印」の製作された時期・製作された地域を確かめたいための一つの手法としての「誕生時空論」の提案とされます。また、この本は中間報告書的なもの、と仰っています。

しかし、現在の著者の方法で、著者が今後に期待する、東アジアの印章資料がもっと追加される、ということは期待薄だと思われます。それよりも、著者のいう「文化的技術要素」に、社会学的な印章歴史学的調査項目をもっと加味されなければなるまいと思います。

何よりも、その調査結果を処理するマトリックス表の整理にもっと細心の注意を払ってもらわなければ、と思います。

新しい視野での『「金印」誕生時空論』を展開されることを著者に期待するのは無理かもしれませんが。

                          (この項 終わり)

参考図書 『ハンコロジー事始め』 新関欽哉 NHKブックス 1991

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